ぼくにはそれが見えるんです。

見えるはずがないものをあなたは見たことがありますか?ぼくはあります。最近は気温が上がってきて暑くなってきたので「本当にあった怖い話」でも〜と思いましたが、あいにくそんな話は持ち合わせていません。


今回の話は、幽霊とかそういった話ではなく、「人間の認知について」の話です。ぼくもそういったことの専門家ではないので実際のところどうなんだーと思うかもしれませんが、主観で語らせてもらいます。



いきなりですが、サッカーでドリブルをするのが嫌いです。理由は3つあって、まずドリブルはボールを運ぶのに効率が悪いということ。ドリブルでボールを運ぶよりボールを蹴ってパスを一本通したほうが、簡単に運べるし得点のチャンスを作れます。2つ目はすごく疲れるということ、サッカーのコートは縦に100mぐらいあるんですけど、下手するとその距離を全速力で走らなければなりません。めちゃくちゃ疲れます。3つ目、1人がボールを長く保持すると攻撃のリズムが生まれにくく試合の流れをモノにできません。個人技ばかりでプレイする人とサッカーをするとむっちゃイライラします。このサッカー観は、ぼくの中学時代の部活がパスサッカーを主なスタイルとするチームだったのでその影響が大きいです。そんなわけでぼくのサッカーのプレイスタイルはパサーです。

パスを出すときにいつも不思議に思うことがあります。鋭いスルーパスを出すときは特になのだけれど、そのパスコースが目に見えているわけがないのに見えることがあるのです。その場所からは見えないハズの角度にいるのに、ボールの軌跡が鮮明に分かる時があります。この現象は脳の中でこの状況ではこの辺りに人がいて、こんな動きをする。だからこのパスコースが通るみたいにパターン認識でその状況を把握しているのだと思いますが、それにしても不思議です。



NBAにジノビリというバスケットボールの選手がいます。彼の特徴は変幻自在のパスを繰り出すというところ。YouTubeでスーパープレイ集を見てみると、明らかに「そんなとこ絶対に目で見えてないやん!」と思えるようなパスを通します。もう視野が広いというだけでは説明がつかない場所へパスを通します。彼の視野の広さというものはあると思います。それとは別の何かが彼の変幻自在のパスの秘訣だと思います。その何かというのは、彼の頭の中で現実とは別に試合を行っているということ。その中で、味方や相手の動きをシミュレーションしているからこそ見えるのではないかと。

サッカー日本代表遠藤保仁もそういったたぐいの選手です。彼のサッカースタイルは、中盤でボールを保持することで攻撃へのタメをつくり、その視野の広さと戦術眼の高さから前線へと的確なボールを送り出しチャンスをつくるといったもの。スピードやフィジカルに頼ってドリブルで突破するといったプレーはあまり見たことがありません。もともとは運動量も少なく、パスで試合を組み立てるスタイルだったという話もあって生粋のパサーだと思います。

そんな彼のパサーとしての能力を支えているのは、状況把握能力の高さとボールコントロール技術にあると思います。特筆すべきはその状況把握能力です。テレビで彼の試合を見ていると、試合の様子を映像でピッチの上から見ているぼくたちでさえ気が付けないところへパスを通します。遠藤選手以外にもサッカー選手だと、イニエスタや元オランダ代表のスナイデルがこのタイプです。こんな選手たちに共通することが「戦術眼」を持っているということ。ジノビリもそうですが、こんな選手は試合を頭の中でシミュレートしていて、そのイメージの試合と現実で起こっている試合との乖離がすごく小さい。そんな訳で観衆も気づけないような、見えるはずのないパスコースが彼らには見えているんだろうと思います。



はなしは変わって写真を撮るとき、写真に収められる映像をイメージして撮って見てください。そして、実際に写真に写っているモノとイメージした像を比べてみてください。きっとそれには違いがあるはずです。目に映る映像は、実際にそこにあるものを正確にみていないということが分かります。見るということでさえ、当人の思い込みやバイアスで歪められていて、頭の中の現象と、現実で起こっている現象では必ず乖離があるということが分かります。

スポーツ選手から考えると見るということは、感じるということに近いのかもしれません。

「目で見るのではない、心で見るのだ。」

ジノビリのプレー集、パスコースが変態すぎる。
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